パパが一服中に考えたこと。信仰について15)

パパが仕事帰りにコンビニで一服しているときに、蜘蛛の巣に引っかかった小さな虫を、蜘蛛が捕まえていたんだって。虫が苦手なパパは気持ち悪いって思いながら、じーっと見ていたんだよ。見ながら色と考えていたんだって。考えるというより思い出していた。

中国古典に荘子ていうのがあるんだけどその中の話で、利を見て而して、其の真を忘るっていうお話を思い出していた。長くなるから内容はここには書かないよ。参考記事を読んでみてね

それから神は妄想であるって本の自然淘汰な残酷さと無駄の多さによっても私たちの意識は高められる。捕食者は餌動物を捕まえるために美しく設計されているように見えるが、餌動物のほうも同じように彼らから逃れるために美しく設計されているように見える。神はいったいどっち側についているのだってゆうのも思い出していた。

進化論を唱えたダーウィンは、神の存在を否定したかと思ったけどそうじゃなくて、神が存在しているかどうかを認識することは不可能であるという立場をとったらしい。

とりとめのないことを考えて、パパは神様の管轄を考える。

地上だけ?人間だけ?地球だけ?人類誕生から?地球誕生から?太陽系?銀河は対象外?全宇宙は?死後は?

そうなると地球上の数ある宗教の神様も所詮は地方の神様程度かな。

もし神という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。この神は情緒的な満足感を与えてくれるものではない。重力の法則に祈ってもあまり意味がないっていう外国の天文学者の言葉を思い出したり。

いったりきたりいろいろ考えて、そうして最後に神はあるやなしや?すべてこんな問題は、三次元の理解力しか持たない人間の頭には、まったく荷が勝ちすぎることなんだっていう、ドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟に出てくる一文を持ち出してきて、パパの一服終了。

そんな難しいこと考えてないで、早く帰ってきてぼくを抱っこしてよって思うんだけどね、仕方ないか。

仕事前と仕事後のコンビニでの一服は、オンとオフの切り替え、パパがお家と仕事から解放されて、思索に浸れる大切な時間なんだって。